ティム・インゴルド「生きていること 」序文より
人類学、そして芸術と建築
逆に、人類学者たちが本書を読んだら、本書は通常の人類学の関心事からは大きく逸脱していて、その関心の中心はむしろ芸術や建築といった他の領域に近い、と感じるかもしれない。 芸術と建築
こうした方向に人類学の軸足をずらしていくことは、私の目論見の一部でもあった。 生を変えずに見たままに観察し記述する人類学に対して、芸術と建築はそこにすでにあるものを観察し記述することなく、見たこともないかたちを自由に産み出す、そのような通念はもはや擁護できない 観察し記述することなく見たこともないかたちを自由に産み出す芸術と建築
というわけではない、と
つまり、芸術と建築と人類学は観察し、記述し、産み出すという共通点をもつ。ひょっとすると、これらの三つの領域の交わるところには、いまだ名づけられず、区画されていない学術領域があるのかもしれない。 芸術と建築と人類学は観察し、記述し、産み出すという共通点をもつ この本の概要
いろいろな意味で、本書は二〇〇〇年に公刊された私の小論集『環境の知覚』の続編となっている。二十世紀最後の十年間に私が書いたものから選んだ小論を集めた『環境の知覚』と同じく、本書は二十一世紀の最初の十年間の小論を集めたものである。
ティム・インゴルド「環境の知覚」
生きることは線に沿うものあるいは散歩だという考え、運動の優位性、地面の性質となりたち、住まう地面と遠い惑星というこの大地に対する分裂した視点、大地と天空の交錯、風と気象の交錯、素材の流動性と摩擦、光や音、感触の経験、つくることの意味、線で描くこと、字を書くことと物語ること。
ティム・インゴルドの試み、扱っているキーワードが全てここにある(ある?)
動くこと、知ること、そして記すことは直列につながれる別々の操作ではなくて、むしろおなじプロセスの並列した複数の側面であり、生そのものに他ならない、
動くこと、知ること、そして記すこと
Movement, Knowledge and Description
動くこと、知ること、記すことは世界の内に浸され、存在する以上のことを要求する。動くこと、知ること、記すことは観察することを要求するのである。
存在する以上のことを要求する
それは、観察すること
動き、知り、記す存在は注意深い目をもたなければならない。注意深い目をもつということは、世界に向かって生きていることを意味する。
本書は、生きていることについての研究を集めたものである。
大きなキーワードとして明記されていないけど、「観察」という言葉が大事な感じになっている